遠藤美絵のウオーキング講師物語

目次

ウオーキングがライフワークになる

序章:歩みの始まり

私たちは、生きるために前進する生き物です。歩くことは、私たちの進化の過程で自然と身につけた能力であり、生まれながらにして私たちの中に刻まれています。しかし、不思議なことに、私たちは歩き方を学ぶことはありません。子供の頃に一度歩き始めると、その後は誰もが自己流で歩み続けるのです。

第一幕:転機の兆し

人生の多くの節目で、私たちは悩み、決断を迫られます。私にとって、そんな時にいつも力となってくれたのは、美しく歩くことでした。歩くことは、ただの移動手段ではなく、私の心に勇気とパワーを与えてくれるものでした。そして、私は気づきました。「歩いているから、なんとかなる」と。

第二幕:歩き方の発見

 産後の体調不良と体重増加に悩まされた私は、何かを変えなければならないと感じていました。35歳の時、2人の子供を育てながら、私は社会とのつながりを失い、家庭に閉じこもっていました。そんな中、子育ては幸せだけれど、このまま太り続けておばさんになっていくのではないかというそこはかとない恐怖心から「ダイエットしなければ」という一心で、明け方にウォーキングを始めました。しかし、なかなか思うように体重は減らず、「これは何かやり方が違うのではないか」と疑問を抱き色々調べ始めました。 

インターネットで見つけたウォーキング講座に申し込んだことが、私のウォーキング人生の始まりでした。1回のレッスンでは習得するのは無理だと悟り、すぐにコースレッスンに申し込みました。カッコいい先生の後ろ姿を追いかけながら、育児の合間を縫って通ったレッスンは、私の体と心に大きな変化をもたらしました。

体重はマイナス6kgになり、周りからは「綺麗になったね」と言われるようになりました。
何よりも、メンタルが元気になったことが私にとって最大の喜びでした。

第三幕:講師への道

 生徒として楽しくレッスンに通っているうちに、講師養成コースがあることを知り受講を

きめました。社会との関わりがなかった私は何か明るい未来が見えたような気がしたのです。歩くだけで人生が変わるほど体と心が変わることを、私も他の人に伝えたいと思い始めました。そして、協会所属のインストラクターとして、私は講師デビューを果たしたのです。 

第四幕:沖縄への旅立ち

しかし、私の講師としてのキャリアが始まったばかりの時、夫の転勤で沖縄への引っ越しが決まりました。地元を離れたことがなかった私は、子育て中も実家に頼りっぱなしで、知り合いが一人もいない土地での生活に不安を感じていましたが、人生で未知の土地での生活は、新たな経験になるのではないかと考え、私は沖縄への引っ越しを決断しました。 

知り合いがいない沖縄でのレッスンスタートは甘くはありませんでした。最初のレッスンは、たった一人の生徒様でした。 

たった一人でしたがとてもありがたかったです。その時の感謝の気持ちを忘れず、全力でレッスンを続けました。そして、地元の新聞に小さなレッスン案内を出したり、生徒さんが生徒さんをご紹介くださったり、生徒さんの数は徐々に増えていきました。 

内地から来た面白い先生がいるという口コミで、私のレッスンは広がっていきました。数年後には、沖縄の行政の健康イベントで、100人規模の世界遺産の西表島でのウォーキングイベントで登壇したり、地元のマスコミから取材を受けたり活動の幅が一気に広がっていったのです。 

結末:独立への道

4年半の沖縄で自由に活動していた私でしたが 

関東に戻った後、協会から独立を決意しました。美呼吸ウォーキングというオリジナルメソッドを立ち上げ、活動を開始しました。しかし、古巣からの圧力に直面したこともありましたが、師匠は退会して目立って活動していた講師陣に同じような行為をしていました。私は、歩くことは誰のものでもないと強く信じ、たった2本の足で歩くことを、誰の許可もなく伝えていくことの意義を改めて感じました。迷いはありませんでした。 

これからも自分のメソッドをさらに強化し、時代に合わせ変化し続けていきます。 

ウォーキングインストラクターとして挑戦を忘れず、共にインストラクターを目指す方々には成長しながら自立へと誰もが続けていける道のりを情熱と決意を持って構築していきたいと思っています。 

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